【NieR Automata】テーマは結局何だったのか?内容ではなく全体像を l アデの半可通日記


【NieR Automata】テーマは結局何だったのか?内容ではなく全体像を

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ゲーム自体の評価はすでにしてあるので、そちらで。▶完全ハードで3周クリアしてきた!! 評価等


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NieR Automata

細かいオタク的な知識ではなくきちんと全体像を

レビューなどを見ると、前作のレプリカントがどうのこうのとか、ゲシュタルト計画がどうのこうのとか、割とマニアックな知識をひけらかして、あたかも自分は詳しいみたいなことを書く人も多いのですが、そういう人に限ってだいたいが2周目がいらない、などという意見が多いように思えます。本当に2周目は必要ないのか?ここを重点的に書いていきます。

そもそもの全体像

そもそもオートマタのストーリー構成はどうなっているのか?というところから書いていきます。まず1周目いわゆる2Bルートがあり、その舞台裏を説明した2周目いわゆる9Sルート、そしてその後に後日談である9S・A2ルートが存在します。だいたいのひとはこの最後のルート要するに3周目をやたらと過大評価をしていたり、挙げ句には1周目と2周目はプロローグなんていうひどい言い方をする人もいます。これ実際は大きな勘違い。なぜ2周も同じストーリーをやらせたのか?ここをしっかり考えてみてください。

前作をイメージしていただければ分かりますが、基本的にニーアでは 大事なシナリオは何回もやらせる という傾向があります。前作で言いますと、基本的に周回は大人ルートでしたよね。つまり、開発者がしっかりと遊んでほしいと思っているのは、大人ルートにあるわけなのです。で、今回はどうなのか?そう、今回の開発者がしっかりと遊んでほしいと思っているのは、前半のルートになるわけです

この物語の趣旨

わりかしニーアがどうなったとか、エミールがどうとかどうでも良いんですよね。だって、それこそがこのゲームのテーマになるんです。どうしても僕たちは、人間こそ絶対的なものなのだ と考えてしまいますが、僕たちがこの世界を支配しているのはたまたまなわけで、たまたま脅威となる存在がいなく、たまたま知性がついた に過ぎないのです。この辺を理解しておくと、何となくこのゲームのテーマが見えてくるのではないでしょうか。

人間の押しつけが原因

そもそもたまたま栄えることの出来た人間が、滅びる運命だったのに無駄に抗い、さらにはアンドロイドにまでそれを手伝わせた、というのが大きな原因です。元来の人類は、白塩化や黒塩病によって生命の脅威に立たされ、対策はしたもののそれが失敗に終わってしまったというのがだいたいの結末。その末路とも言えるのがアンドロイドと機械生命体の存在です。

(対策をもうちょっと細かく説明すると、コールドスリープみたいな感じ。その器と魂を分離して、目覚めたときに器に魂を戻すんだけど、その器に自我が目覚めてしまって・・・みたいな感じ。はたから見れば人類の身勝手さが分かるよね。ニーアの人類って相当クズだよな。)

彼らは与えられた命令に背くことは出来ないものの、その与えられた論理の隙間をかいくぐり、自我を獲得しようとしていました。要するに知性です。それが語られているのが今作。ただし、結局最後の最後まで人間の絶対性というものには抗うことが出来ず、アンドロイド自身も滅びを迎えてしまいますが・・・(Eエンド以外)。なぜ自我が芽生えるのか?というのを僕的に推測してみると、高度なことを機械にさせようとすると、それだけ高度なプログラミングが必要になってくる。そうしてくると、ある瞬間ふとその隙間をかいくぐって自分で考えを作り上げてしまう可能性がある、それが自我なんじゃないかなと思います。ポータルというゲームが似ているかも。

“心”とは何なのか?これが今回のテーマ

支配者は人間じゃなきゃダメなのか?

このゲームで終始考えさせられるのはこれ。プレイしている人なら分かると思いますが、ここまで人間っぽいのになんで、なぜ文明を作らないんだろうと思ったりはしませんでしたか?主な原因としては、脱走したり自我を持ったりしてしまうと、罰が下ったりしてしまうからなのですが、本当に怖い世界ですよね。また、アンドロイドは自我を持つ存在ではないという潜在意識から、自我が芽生え出していることにも気づけず、彼らは任務を淡々とこなしています。現実世界でいえば社畜といわれようなのが近いのかもしれません。自我を押し殺して、日々を過ごすみたいなイメージです。

それほどまでに人間という存在は偉大であり、彼らはその潜在的なプログラムによって、抗うことが出来ない状況に立たされていると言えるのでしょう。実際のところアンドロイド達でもやろうと思えば、国は築けるはずなんですよね。

人間だから心があるのか?心があるから”人間”になるのか

そもそも人類がアンドロイドを作り上げたのは、自分たちの生存のため。ただそれだけ。そもそもアンドロイドには心というプログラムは存在しないので、何が心なのか?というのは、まったく分からないのです。こういったことが、今作に登場する機械生命体の”心”のようなものに、気付かず破壊していってしまうのです。僕たち心を持った人間であれば、主人公である9Sの機械生命体に対する言動には、違和感しか覚えなかったはずです。でもそれが彼らの常識なのです。

人間だから心があるのか?心があるから人間になるのか?というのは、このゲームのメインテーマとも言えるでしょう。

やっぱり大事なのは2周目

以上の”心”というものがハッキリと描かれているのは、やはり2周目です。各ボスの舞台裏などもしっかりと描かれており、なんか人間としてること一緒じゃん、みたいな感じにはなったのかなと思います。ただ決定的に違うのは、前進するかしないかでしょうか。機械生命体には新しいことをする能力ってのは無いみたいなので、自ら進んで切り開くといったことはおきませんでした。この辺も結局はプログラムのせいなんでしょうか。(アダムとイブに関しては突然変異の可能性も大だけど、あれもプログラムの可能性あり)

結局プログラムの中で踊らされているアンドロイドと機械生命体ですが、Eエンドではちょっと希望のようなものも生まれていました。未来は与えられるものではなく、獲得するものだから というセリフには中々グッときますね。新しい未来を作り上げていくこと、即ち真の意味で生きるということは、プログラムされたものではなく自分らで考え切り開いていくことなのです。これに人間だからとか機械だからということは関係なく、どんなものも生きることが出来ていれば、それは新しい時代を築きあげることは可能なんだということかなと思います。そういったことにしっかりと繋げてくれる2周目というのは、非常に大事なルートだと僕は考えています。


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